安倍元首相の暗殺現場を歩く
「次は大和西門寺行き」。
大阪拘置所最寄りのJR環状線・桜ノ宮駅より鶴橋駅を経由し、阪急線に乗り換えて約30分。安倍元首相銃殺現場に辿り着く。途中、生駒山系からの大阪の街の車窓は圧巻だった。山の真上から臨む霧がかった大阪都心の立体感。首都圏であのような風景はなない。奥多摩や飯能あたりから突如として直近に都心が見えるような印象。
大和西門寺駅で下車しようと車窓を覗くと、想像以上に郊外然としていた。田園風景が見える。
下車してホームの階段を上がった途端、空腹であることに気付く。夜中に東京を出て高速を飛ばし、朝方神戸に到着した。そこから土地勘の無い大阪の街を彷徨った。差し入れ屋や拘置所、初めての場所ばかりで疲労しているようだ。気を取り直し、駅ナカにある立ち喰いそば屋に入り(関東とは違い白い汁の)関西のうどんを一気に掻き込み英気を養う。
改札を出て北口の現場へ向かおうとした瞬間、凄まじい雷鳴が轟く。バケツをひっくり返したかのような豪雨に見舞われる。東南アジアやインドのスコールを彷彿とさせる、駅の南口と北口を繋ぐ自由通路はガラス張りで、見通しが良い。ガードレールに囲われたあの暗殺現場がくっきりと見える。暫しその一点を食い入るように見入る。
強者(つわもの)がいた。テレビクルー3人組が土砂降りの中、安倍元首相が倒れたコンクリートの地面に肉薄するように接写していた。
西の空を望めば、青空が垣間見える。この土砂降りはもう少しで止むと判断し、向かい側の商業施設サンワシティ西門寺に移動した。
この新しい商業ビルは、フロアごとにファーストフード、食品や雑貨、塾、クリニック、オフィスとフロアごとに整然としていた。大阪拘置所や差し入れ屋で得た資料を保存するためのクリアファイルを百均で購入した。1階から最上階まで、ワンフロアごとエレベーター脇の窓からあの銃撃現場を眺めてみた。山上容疑者も安倍元首相が到着する前から、かの場所で下見をしていたのだろうか。
山上容疑者以外に共犯者がいるらしい。
彼の狙撃と同時に、違う地点からスナイパーが安倍元首相を銃撃し絶命に至らしめた。
そういう「陰謀論」がネット空間にまことしやかに流れている。一部では、カルト的な支持を得ている。そういうサイトを覗くとなんとなく「有り得なくもない」とも思えてしまう。その共犯者=スナイパーは、この商業ビルの屋上を使った…
その「真偽」を実際に確認したかった。
結論から言えば「あり得ない」ことだった。
最上階や屋上で狙撃するのであれば、下に向かって70〜80度の角度で下に向かって身を乗り出さなければならない。
そんな不安定な角度で狙撃など出来るはずもない。もし仮にその体勢を確保出来たとしても、あれだけの聴衆がいたのだから、直ぐに誰かに気付かれる。妄想の果ての妄想のようにしか思えない。
ようやく雨が小降りになり、商業施設から現場へと歩み寄ると、報道されている映像、写真よりも小規模な駅前。首都圏で言えば、西武線の小手指駅前や、東武線のふじみ野駅のようなの感覚だった。
元首相が凶弾に倒れた場所に暫し立ち尽くす。
憲政史上最長の在任期間を誇った首相の終焉の地としては、あまりにも素気なく、無味乾燥で、無機質な何の変哲もないガードレールの囲いでしかなかった。ついさっきまでの豪雨でアスファルトの路面が、晴れた空を鏡のように映し出していた。
「すみません、少しだけお話聞かせてもらえませんか?」
カメラで何カットが撮影していると、背後から声をかけられる。振り向けば、50代前後の男性2人、30代の男性1人が私の前に立っていた。つい30分前土砂降りの中で撮影していた強者だった。
外国テレビ局の取材班。今回の事件の特集番組を製作中で、私にインタビューしそれを番組で使いたいとのことだった。一瞬だけ迷った。そして逡巡…快諾した。
私の放った言葉は、外国の受け手にどう伝わるのだろう?制作側の視点で都合よく切り取られ、編集されて私の意図することから乖離する可能性がある。むしろその可能性の方が高い。それでも、取材を受けてみようと思った。
自分が取材される側になってみる。「良い経験」だとポジティブに捉えてみた。
テレビカメラを向けられ、それを意識し”演じ”始めるかもしれない自分を俯瞰的に見てみたい願望もあった。
同時に、たまたまこの場で偶然居合わせて、この場を共有するというのも悪くない。
一人でここにいても、一人勝手に煮詰まってしまう予感があった。
「何故、遠くからここに来たのか」と質問される。
今後歴史に残る場所でもあるが、この場所自体、街の再開発で暫くすれば変わってしまう。この場所を祈念の場所にする案もある。何にせよこの場所が物理的に変化する前に、この事件の余韻があるうちに訪れてみたかった。
「安倍さんについてどう思うか?」「国葬についてはどう思うか?」などごく一般的な質問が続いたので、この現場の前に大阪拘置所で山上容疑者に差し入れしたことを話す。取材側が案の定、異常に反応して来たのが興味深い。
山上容疑者が最初に放った銃弾の弾痕が100m先の立体駐車場の壁にあることを知っていた。そこを見に行くと取材班に伝えると「それは知らなかった」と言うので同行することになった。
その前に、安倍元首相が凶弾に倒れた場所で持参した数珠(20年前チベットのラサで買う)で手を合わせる。
歩いて1分とかからない立体駐車場の壁を見上げれば、5、6メートル、8メートルに一定しない大きさの(パチンコ玉かそれより小さい)穴が4箇所確認できた。コンクリートにめり込んだそれらを見て、山上容疑者の手製の銃の威力を実感する。100m先のコンクリートにこれだけの穴が開くのだから、人体に当たればひとたまりもないのは一目瞭然だった。
一度に6個出た弾丸が、それぞれ角度を変えて流れて行った。1発目のそれは高いところから狙い安倍元首相には被弾せず、この立体駐車場に辿り着いた。2発目を含め、合計12個の弾丸が安倍元首相以外、誰にも当たらなかった。流れ弾の弾痕を実際に目の当たりにすると、よく他の誰にも当たらずに済んだなと思わずにはいられない。
立体駐車場の弾痕は、この地の「名所」になっているらしく、「また来たか」という感じで駐車場の係員から車の出入り口を塞がないように注意を受ける。仰々しいカメラを持った取材班と私の計4人が、アングリと壁に目をやっていたのだから、確かに車の往来の邪魔になっていた。
取材班と名刺交換し別れる。
現場の横断歩道を渡り、山上容疑者が安倍元首相の背後で虎視眈々と立っていた場所を特定したかった。バスのロータリーのフェンスで汗を拭っていた年老いた警備員に尋ねる。
「ここや」
尋ねた場所が、まさにそこらしい。警備員はその日非番だったがあの事件現場に居合わせた同僚らか聞いたとのこと。
観衆のいた当時の映像、画像の印象より、実際の山上容疑者と安倍元首相の距離はかなり近いことが分かった。
道路(県道)を隔てて6〜7mだろうか。観衆に紛れて狙いを定めていた時点で山上容疑者は既に相当な至近距離にいたことを実感する。
銃撃現場になったいびつなガードレールの囲いは、街の再開発の影響とのことだった。
駅前のロータリーをバスだけでなく一般車も通れるようにし、ロータリー前に信号機、横断歩道を設置する予定地が、あの囲いらしい。
「あっこに予想図があるで」
工事中の囲いに大和西門寺駅北口の未来予想図の看板が大きく貼り出されていた。
北口をあとにし、南口を見に行く。
安倍元首相も事件前に演説したという南口は往年の巨大な団地が右側に聳え立ってるだけで、北口より閑散としていた。往年の団地と対照的にバスのロータリーは新しく、それ以外のものは無く殺風景だ。より多くの聴衆を集めるために大和西門寺駅の北口と南口をどちらかを選べて言われたら、間違いなく北口でしかない。
1時間前の雷雨とうって変わって、大和西門寺駅周辺は眩しいばかりに晴れ渡る。
・山上容疑者の自宅
・山上容疑者が自作の銃を試し打ちした世界平和統一家庭連合の事務所
この2箇所の土地の雰囲気、匂いに触れたくなった。
向かうことにした。