<前編>国葬体験記-防衛省編

  1. 防衛省正門前
  2. 国葬までの経緯
  3. 迷走の末のポジショニングと居合わせたひとたち
  4. 一瞬の通過
防衛省前を「防衛」したののは新潟県警だった。
防衛省前を「防衛」したののは新潟県警だった。

1.防衛省正門前

2022年9月27日午前10時半。既に物々しい警備が始まっていた。

意外に一般人が少ない。情報収集とばかりに居合わせた人に手当たり次第に声をかける。

近所のおじいさん、おばあさん、写真を趣味で撮っているおばさん、夜行バスで大阪から駆けつけた自衛隊のおじさん、マスコミ…応援に来ている新潟県警の警官たち。

私の知りたい情報は、遺骨を抱いた昭恵夫人の車が通過する時間と、そのルートだった。

到着30分で判明したのは、「誰も分からない」と言うことだった。

警察は知っているはずだが「私たちも分からないんですよ」とのらりくらりと躱す。

NHKの腕章をつけたカメラマンとアシスタントも一般人同様に右往左往しているのを見て、通過時間とルートは一切の秘匿事項だと分かった。まさか警備を装っての陽動作戦で、実は別の本当のルートがあるのか?妙な疑心暗鬼が芽生え出す。さて、私はどうするか…

防衛省前の飲食店を嗅ぎ回る愛知県警の警察犬。その後私も任意で警察犬に嗅がれる対象となった。
防衛省前の飲食店を嗅ぎ回る愛知県警の警察犬。その後私も任意で警察犬に嗅がれる対象となった。

2.国葬までの経緯

2022年9月の初めに奈良西大寺駅前の安倍元首相の銃殺現場、山上容疑者の生活圏、自作の銃を試射した世界平和家庭統一連合の現場などを実際に歩いてみた。

 一人の男が放った銃弾の帰着点としての戦後2度目の国葬。賛否両論、喧々諤々の現場を自分の肌身で実感したかった。

国葬の前日、会場である武道館に出向いた。田安門は既に白黒の幕で覆われていた。一般の献花台が設置される九段坂公園は設営の真っ只中だった。明日は人でごった返すだろう。誰でもテレビでその様子や雰囲気は見られる。You tuberも大勢来るであろう。終戦記念日の8月15日のように賛成派と反対派で押し合いへし合いする絵映えする光景が目に浮かんだ。明日の「核心」はここではないと思った。

帰宅して三つの候補案が頭の中に浮かんだ。

  1. 儀仗が行われる安倍自宅の富ヶ谷ハイム
  2. 国会前のデモ
  3. 遺骨を抱いた昭恵夫人の車が経由する防衛省

候補1 

万人が行ける場所でなく極めて貴重な空間になるはず。しかしながら、あの高級住宅街。道も狭いし何よりも警備が厳重。安倍邸を迂回し住宅街をうろうろしていたらそれこそ不審者扱いになるだろう。資源ごみにビールやチューハイの缶などなく、見たことも無いような高級ワインの瓶が山積みになっている、無論自販機など無いような街。ここで撮影を断念し、国葬のある都心に出るには若干の時間がかかる。富ヶ谷は、かなり難しい。


候補2

官庁街霞ヶ関の丘の上にあるのが国会議事堂。反対派の声を存分に聞けるというメリットもあるが、広々とした公園もある整然とした空間で、偶然居合わせる一般人が圧倒的に少ない。わざわざ丘のてっぺんまで来る人は、同じ意見(国葬反対)の人しかいないだろう。一種のオナニー空間でしかなく「変数(想定外、偶然性)」が見込まれる可能性が低く予定調和の極みでしかないであろう。労力を要する割にはつまらない。


候補3

急遽決定した防衛省経由での葬送。防衛庁から防衛省に昇格させた故人の功績を讃えつつ、その功績を「利用」したい側の何かしらの思惑が見え隠れしているように感じる。実に興味深い。広大な防衛省の敷地だが、靖国通り沿いの正門に車列が来ることは間違いない。まさか敷地の丘の上の裏口経由など儀礼上あり得ない。仮に排除されても、迷路のような住宅街とビルの入り混じるエリア。ここがダメならこの道、この道がダメならあの道というエスケープルートが豊富にある。幸い土地勘もある。全てがダメで万策尽きても地下鉄や徒歩で国葬会場のある九段まで行ける。アクセス良好。


本来なら全てを見て回りたいが体は一つ。全てを勘案し候補3に決定した。

3.迷走の末のポジショニングと居合わせたひとたち

「車列は13時40分に通過するらしい」

2022年9月28日12時半あたりから噂が俄かに広がり始めた。陣取っていた防衛省正門T字路の信号前は滞留不可。坂道を上がって四ツ谷駅方面の外堀通り沿道に移動して欲しいとのこと。正門前を担当していた新潟県警に告げられる。

「(私たちは動員で来て)都会には慣れておりません。どうぞ宜しくお願いします。」

低姿勢を貫くよう予め指導されているのだろうか。悪い気はしない。

坂道を上がるとそこは長野県警のエリア。やはり坂を上りきった四ツ谷駅方面に促される。

2m間隔に居並ぶ警官たち。沿道のビルの窓をひとつひとつ見上げ確認する警官、植え込みや飲食店、ビルのゴミ箱も開けながら確認する警官、通行人の臭いまで嗅ぎ取る愛知県警の警察犬…

もはや立ち止まることも許されない雰囲気があっという間にか醸成されていた。間違いなくここを車列が通ることを確信する。

坂を上りきって外堀通りからは、三重県警のエリア。車が左折するであろう信号機の前の植え込みも滞留不可とのこと。困り果てていると、10m四ツ谷駅寄りの植え込みに白髪のおじいさんが佇んでいた。訊ねれば「ここは滞留OK」とのこと。

ベストではないがベターと判断し、街路樹と柵の隙間にようやく自分の場所を確保する。程なくY新聞社のカメラマンが脚立を置いた。ポジショニングは間違いないようだ。程なくして一眼レフカメラを首にぶら下げた長身の中年男性が左側に入って来た。今にも萎れそうなくたびれた白い花を手提げ袋に持っていた。長野のK市より自家用車で駆けつけたとのこと。彼も(私と同じく)奈良の銃殺現場に出向いたと付け加えた。

「場所を交換してもらっても良いかしら。私を前に立たせて欲しいの」

長身の彼に突然交渉する上品なおばあちゃんが現れる。長身さんは一瞬呆気に取られ困惑しつつも紳士的に「どうぞ」と場所を交換する。あばあさんは、ベトナム女性が着るアオザイのような喪服姿。つば付きの黒い帽子を被り、胸には「安倍さんありがとう 昭恵さんガンバって」の自筆のプラカード。左手には色とりどりの花束を持ち、右手にはスマホ。家族の了承を得て、単身宮崎県から出発。息子のいる都内で一泊してやって来たとのこと。

「安倍元首相は日本の国益のために頑張って下さいました。昭恵さんが本当に不憫でならなくて…」

国葬会場には勿論入れないし、一般の献花台で並んでも昭恵夫人の目に自分が触れることはない。昭恵夫人に自分を見てもらいたいとのこと。だからその可能性が少しでもあるこの場に来た。

同じ場所に立ちながら、その動機が私とまるで違うことにようやく気が付く。私は、昭恵夫人の乗った葬送の車列を”見たい”。宮崎おばあちゃんは、悲しみに寄り添う自分を昭恵夫人に”見てもらい”応援したい。

「ちなみに貴方はどちら側のお立場ですか?」

意表を突くように聞いてくる宮崎おばあちゃん。私は安倍元首相の「国益」など単なるフィクション、幻想だという立場だが、それは流石に伝えられない。この何の変哲も無い植え込みに立つために、遥々やって来た宮崎おばあちゃんと、自宅からドアツードアーで1時間も要しない所から来ている私とでは、まるで熱量が違い過ぎた。その一瞬の為にようやく辿り着いた場所で、偶然居合わせた隣人の私が「反安倍」などと伝えたら彼女の「物語」を壊すことになるであろう。ここで持論を展開する必要などない。宮崎おばあちゃんにとっての理想的な「物語」の隣人を演じようと思った。

富ヶ谷の自宅を出発した車列が首都高の外苑前を通過する。その空撮を生中継するスマホからの映像。いつの間にか背後にいたFテレビのおじさんが我々に見せてくれた。

宮崎おばあちゃんは、写真も撮りたいというのでスマホの連写モードの使い方を教える。試し撮りで完璧になってホッとしていると、隣の白髪爺さんも連写モードを使いたいとのこと。いよいよという時にまさかの連写モードの使い方説明。

防衛省を経由し国葬会場に向かう昭恵夫人を乗せた車。沿道は長野県警。
防衛省を経由し国葬会場に向かう昭恵夫人を乗せた車。沿道は長野県警。

4.一瞬の通過

「どうかひとつ、本当に宜しくお願いしますね」

郊外のイオンモールを私服で歩いていたら警官とは分からないような、未だあどけなさが残る20代の三重県警の彼が、眼前の我々に深々と頭を垂れた。要は、変なこと良からぬことをしないようにと言うことだろう。「大丈夫だから!信用してね。」私は彼にそう笑顔で応えた。

車道は静まり返った。先導の白バイが通過し、何台かの黒い車が通過する。

日の丸を掲げた黒光り車が見え出す。連写モードで車を追う。

後部座席左側、喪服姿の昭恵夫人が見て取れた。宮崎おばあちゃんが夫人の視界に入っているように感じられた。

「安倍元総理万歳っ!」

警官に挟まれた黒服の無骨な男たち数人が一斉に声を上げる。皇居一般参賀の「天皇陛下万歳!」を彷彿とさせる絶妙なタイミングにプロ性を感じる。

一瞬だった。

警官も一般人も緊張の糸が一気に切れて弛緩するハズが、その糸は未だ切れていない。緊張状態が漂っていた。

首を傾げる。数十秒してようやく理解する。車列は防衛省正門を入りUターンしてまたこの道に戻って来る。

急いで坂道を下ると車列が見えた。連写モードのシャッターを切り続けた。

通り過ぎた瞬間、張り詰めていた沿道全体の空気が一気に弛緩していくのが分かる。

トランプ大統領が六本木に来た時の通過後や、皇居の一般参賀のそれとまるで同じだった。

眼前を通過する昭恵夫人を乗せた車。13時40分。
眼前を通過する昭恵夫人を乗せた車。13時40分。

3時間以上彷徨った防衛省前から離れる。ほんの数分前まで皆で和気藹々とその時空を共有していた隣人たちは、あっという間に散り散りとなる。もう二度と会うこともないであろう隣人たち。

市ヶ谷方面に歩きつつ連写モードの写真を1カットづつ確認した。

気になった2枚のカットを拡大してモニターを覗く。

遺骨を抱いた昭恵夫人は、車窓から宮崎おばあちゃんの方を見ていた。間違いなかった。

昭恵夫人から”見てもらいたい”宮崎おばあちゃんの「物語」が成就していた。

未だ余力も時間もある。

国葬が開始される九段へ向かうことにした。

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